答えを求めていた私
タロットや西洋占星術など、いわゆる占いというジャンルで括られるものが好きなだけあって「自分とは。。。」ってなことを考えたりするのは好きなタイプなほうです。
だけど、よくよく振り返ってみると、考えるには考えるのだけど、どちらかというと「答えを求めていた」という方が近いかも。
タロットを始めた頃や何となく自分で占えるようになってきたかなーと思い始めた頃、タロットがあまりに核心を突くカードを出してくるので、つい答えを求めてしまいがちになっていた。
そうなるとタロットは急に逆位置祭りを繰り広げ出し答えてくれなくなる。
もしくは、カードでバシッと伝える。
自分に聞いてみること。
自分で考えること。
あまりに当たると明確な答えを求めたくもなる。
人間だもん。
けど、答えなんて無いのですよね。
AもあればBもある。
もしかすると、その2つをミックスしたようなCかもしれない。
いや、もしかすると全部そうだし、全部違うかもしれない。
それを自分で体感して、確認することが大事なんじゃないかな。
間違ってもいいし、失敗してもいい。
だけど、損したくないから、つい正解を求めちゃう。
私は沢山間違えてきたし、沢山迷惑もかけてきたし、損したくなくて正解求めてきたことも多かった。
かっこ悪いのに、かっこつけていたことだってある。
だけど、そんなへっぽこな自分が全部ミックスされて今の私がいる。
タロットには、色々と相談する。
今でもつい「これは?」「じゃあ、これは?」って次々と聞いてしまうことがある。
そうすると、タロットは、
自分で考えてみるといいよ。
自分を信じなよ。
って言ってくれる。
アドバイスはくれるけど、自分で考えることを促してくれる。
自分を信頼して、考える、そして、ある時ふと繋がる。
「あーこういうことだったの?」と。
それはカードをめくって、すぐにわかることもあれば、1週間後だったり、1年後だったりもする。
タロットを習い始めた頃、数人の方々を鑑定させてもらった。
その時はタロットの的確さのあまり、つい答えを出そうとしていた。
それが良いのか悪いのかはわからない。
だけど、今はそれほど答えを出そうとは思っていない。
答えはその人の中にあるし、その答えを引き出すきっかけがタロットからのメッセージなのかなぁ。
あー、言いたいことを上手くまとめられないな今日は。
いずれにせよ、タロットありがとう♡というのは確かです。